お子さんは学校に行けなくなる前段階で
「不安 混乱」を経験していますが、
お母さんはお子さんが学校に行けなくなってから
一気に「不安 混乱」を経験します。
この時のお子さんは「エネルギー枯渇期」です。
お母さんは怒ったりなだめたりしながら
なんとか登校を促しますが、
2日行っては休む、1日行っては休む、というふうに欠席ばかりとなり、いよいよ朝起こしても
反応しなくなる…。
混乱しますよね。
意味が分からないし、悲しいし、不安だし、
焦るし、怒りも止まらない。
この時期は多くのお母さんが、不登校についてネットで調べたり、本を買って読んだり、
なんとかしようと手を尽くすのですが、
どうしても目がいってしまうのは
「不登校はこう治す」とか
「不登校が治った」とか
「短期間で不登校治します!」
という記事ではないでしょうか。
確かに学校に行ってもらいたいわけですから、そういう情報が欲しい。
私個人的には不登校を「治す」「直す」という
表現は適切なのかな?とは思っていますが。
次に目に入ってくるのは
「生き方は多様化している」
「学校が全ててはない」
「不登校でもいいじゃないか」 的な記事。
これでまた混乱に追い打ちをかけられるわけですが、おそらくどんな不登校支援についての記事でも共通するのは「子どもの気持ちを受容する」
ということ。
しかし、この受容というのがかなり難しいし、
時間がかかると思います。
では、お子さんの気持ちを受容する準備として必要なことはなにか?
まずはお母さんがお母さん自分自身の気持ちの混乱を受容することかな、と。
そりゃ、学校は大事ですよね。
読み書き 言語 計算 自然 社会の成り立ち を、
国数英理社で学び、
集団生活を通して、人間関係 ルール 自己発揮
自己制御なども知っていく場所ですから。
お母さん(私)はなんでこんなに不安なのか、
焦るのか、を一回自己内観してみる。
当然、お母さんも学校の大事さを分かっているからこそ、
「学校も行けない(行かない)で、この子の将来どうなるの」
「学校も行けないなんて、このまま社会不適応になってしまうのでは…」
「小中学校くらいは行かせなければ!」
「小中どころじゃない、今どき高校も行かない中卒になったらどうやってこの子は生きていくの」
と、不安で焦るのは当然のことなんだな、と。
そして、
「我が子だからこそ、こんなに悩んでしまうんだ」と。
ぶっちゃけ、よその家の子の話しだったら、お母さん自身が自分を見失うほど悩まないです。
それが母親という存在だと思います。
何をやっていても子どものことばかり考えてしまう、何も手につかない、不登校のこと以外考えられない時期です。
この時期に、
「子どものことばかりにとらわれないで、お母さんも楽しみを見つけて外に出かけてみましょう」
とか、
「お母さんが暗い顔をしていると子どもはもっと辛くなりますよ」
とか言われても、それができれば苦労しないよ!
です。
また、周りからのアドバイスにもちょっと注意です。
特に「うちも不登校だったけど、◯◯したらよくなったわよ」という情報だけならいいのですが、その方の不登校観を押し付けられないように。
ヘタすりゃ
「母親が仕事なんかしてて、子どもといる時間が少なかったからよ!あなたは子どもに寂しい想いをさせてきたのよ?私はすぐにパート辞めたわ。
そしたら学校行くようになったわよ!」
的な。
ココロが弱って折れてるときは冷静な判断ができなくなっているので、
「やっぱり私が母親としてダメだったんだ」
と、奈落の底に突き落とされるだけです。
大事な我が子のことだからこそ、今 私は苦しい。どうしていいかわからないくらい悲しい。
ぶつけようのない怒りが湧いてくる。
お母さんがそんな気持ちになるのは当たり前のことで異常ではないです。
母親としての正常な反応です。
まずは、
自分を責めず、お母さん自身の立場と気持ちを
受容してみるという一歩。
だから、お子さんの不登校回復までの道のりは、
お母さん自身の回復過程でもあると思います。
母は強し、ですが
そりゃ、死ぬほど悩みますよ。
母親だもの。